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竹内文書Ⅱ はじめに

天皇による地球統治の歴史の封印が解かれた

 私の24年間におよぶ竹内文書研究のすべてを注ぎ込んだ前書「超図解 竹内文書」は、おかげさまで期待をはるかに上回る反響をいただきことができた。そしてこうして、第二弾である本書をまた上梓するに至ったことは、超古代史の研究に半生を捧げた人間として、望外の喜びである。

 まさに天の時来たりといえようか。日本人にとって、いや人類にとって貴重な遺産である竹内文書が、今こそ本当に求められる時代になったのである。

 私は前著で次のように唱えた。現代文明の行き詰まりを解決し、人類を真の幸福に導くためにこそ、竹内文書を学ばなければならない、と。超古代文明の繁栄と衰亡の歴史のなかに、これから我々が取り組むべき文明の方向転換のヒントが秘められているのである。だからこそ、だれもが未来への危機感を抱いている今この時期に、神界のプログラムによって竹内文書の真実が世に出されるだろう。

 本書ではいよいよ、神々が望む神政の復活について詳しく述べていくつもりだが、その前に、本書で初めて竹内文書に接する人のために、簡単な全体像を説明しておこう。

 茨城県北茨城市にある皇祖皇太神宮には、管長である竹内家によって、代々守り続けられてきた数々の古文書や神宝類が存在する。それらの総称を、竹内文書もしくは竹内文献を読んでいる。そこに書かれているのは、質量ともに古事記をはるかに凌駕する神代の記録であり、皇統譜である。天神七代に始まり、上古二十五代、不合朝七十三代、そして現代の天皇につながる神倭朝まで、四つの大きな時代区分を背景に、そのときどきの治世方針が、神代文字(漢字以前に存在した日本の古代文字)によって克明に記されている。

 原点の成立年代は不明だが、現在の研究対象になっているのは、五世紀の後半に、武内宿祢(竹内宿祢)の孫である平群真鳥が漢字カナ混じり文によって書き改められたものである。これは、日本最古の歴史書とされる古事記の成立より二百年以上早い。

 そこに綴られているのは、常識を覆す歴史の記録である。天皇家が他天体から宇宙船で地球に来訪したこと。日本に世界政府が置かれ、天皇が世界を統一していたこと。日本から分かれて世界へ散った肌の色がそれぞれ違う五つの人種(五色人)の子孫から、モーゼ、イエス、マホメット、釈迦、孔子、老子などの聖人が生まれ、彼らが日本で修業していたこと、などなどだ。

 また、古文書以外に伝えられた神宝類も、世界に類を見ない貴重なものが多い。代表的なものを挙げると、地球外物質を原材料とする謎の金属ヒヒイロカネで造られた剣と鏡、神武天皇以前の天皇のお骨を材料に造られた七十六体のご神骨像、古代イスラエルの予言者モーゼの十戒が書き記された石、イエス・キリストのご両親のご神骨像、などである。

 では、なぜこういった貴重な史料が、歴史の表面に出ることなく、皇祖皇太神宮に門外不出の秘宝として受け継がれてきたのだろうか。それはもともと、この宮が天皇を祭主とする治世の要ともいうべき神宮であったからである。

 ところが、時代が下がるにつれて、世界各国の王が自身の権力を誇示し始め、世界の統治者たる天皇の権威が失墜していった。それにともなって、新しい権力者による歴史者による歴史の改ざんが行われていく。

 天皇は正しい歴史を残すべく、当時は富山にあった皇祖皇太神宮に、秘文書を託した。これを受けた竹内家の人々は、「ときいたらば、皇室に奉還すべき」宝として秘蔵し、代々命をかけて守り抜いたのである。

 これらの秘文書類を、再び世に出したのは、皇祖皇太神宮第六十七代管長、竹内巨麿だった。巨麿は衰退しきっていた皇祖皇太神宮をそれまでの富山から茨城へ移し、天津教という名で再興しようとした。

 そして信仰の中心を成すものとして、秘文書の公開に踏み切ったのだ。昭和十一年に起訴されてしまった。九年近い裁判の後、結果的には無罪を勝ち取るのだが、この時の証拠として大審院に押収された文書類は、東京大空襲で焼失してしまったのである。かえすがえすも残念なことだ。

 したがって、現在は竹内文書の現物は残されておらず、巨麿が克明に書き写したものによって、その一部を知ることができる。だだし、神宝類に関してはすべてを押収されたわけでなく、皇祖皇太神宮にはいまだに人目に触れていない秘宝も残されているという。

 

神の御心を持つ指導者による神政の復活

 さて、前書では超古代文明の真の姿を紹介し、読者の常識的歴史観に風穴をあけることが主なテーマだったが、その目的はある程度達成されたと自負している。ここに第二弾を上梓するにあたって、私はまた新たな視点で竹内文書を見直してみたいと思う。

 それは、真実の皇統譜としての竹内文書である。

 神界の神々が、地球という新しい星を統治するために、この三次元に肉体を持って降りていらした姿が天皇である。私は政治的イデオロギーの立場からこんなことを言っているのではない。独善的な民主主義や、天皇制が過去の歴史においてファシズムと直結してしまった例に潜むような危険性は、充分承知しているつもりだ。

 超古代文明の真実を追求すて行くとき、そこに厳然と姿を現すのは、世界政府の統治者としての天皇の姿なのである。神とは秩序の担い手である。その神の霊流を受けて、宇宙や地球の秩序法則を体現化しつつ、地球を統治する役割を、天皇が果たしていたわけである。

 その当時は、天皇の統治のもとで高度な科学技術と自然の摂理とを調和させ、争いのない秩序の整った平和な文明を築いていたことが、竹内文書に記録されている。

 だが、天皇に任命されたはずの各国の王が権力志向に陥り、調和と秩序をかえりみなくなったところから、世界政府のきしみが始まり、天皇の権威が失墜していくのである。そしてついにだれもが知るように、世界政府の秩序は完全に崩壊し、天皇は統治者の座を追われ、後の権力者によって改ざんされた歴史だけが、一人歩きを始めてしまった。文明の性質も変わってしまい、もはや人類は地球とともに集団自殺を図ろうとしているかのような、悪循環の生活システムを築きあげてしまった。

 現在の人類の文明が、神の望んだような状態で運営されていると考えられる人は、まずいないだろう。では、神が人類に対して望んでいることはなんだろう。

 それは神と直結した御霊の持ち主を中心として全世界が統治される、神政の復活なのである。

 武力によるのでなく、権力によるものでなく、統治者たる人物が神の意を反映して、秩序法則に則った治世を行うことこそが、真の平和をもたらすシステムなのだ。

 人間業でやるのではない。大自然の秩序を保っている神の意志を体現することによって、初めて天皇は人民を幸せへと導くことができる。だからこそ、その任に就くべき御霊の持ち主は、神に選ばれたものでなくてはならないのだ。

 それではなぜ、一度は整った治世が、その後もろくも崩れ去ってしまったのか。実はそこに、人智を超越した神界の壮大なドラマと、神の見えざるプログラムが働いているのである。その真実は、本書でじっくりと解き明かしていくつもりだ。

 なぜ、地球誕生初期の天皇の統治が完全でなかったのだ。そして、これから私たちが再び神の意志を反映した文明のシステム作りを行うにあたって、それを成功させるポイントは何なのか。それらの答えが、本書を読み進むうちに明らかになっていくはずである。

 近代日本を代表する霊能力者である出口王仁三郎は、神の意図した「ミロクの世」の到来を予言した。その後を受けて、岡本天明の日月神示が、「ミロクの世」へのより具体的なアプローチの仕方を、私たちに示してくれた。

 そして今、私たちは超古代に一時的に実現した「ミロクの世」の姿を、竹内文書によって垣間見ることができる。つまり竹内文書とは、神が私たち人類を完全なる「ミロクの世」へ導くために、その具体的な指針として用意しておいてくれた、過去の不完全な「ミロクの世」のスケッチなのである。

 今年(平成七年)に入ってからも、阪神大震災、オウム・サリン事件、韓国のデパート崩壊事件、インドの大洪水、サハリン大地震等、神がさまざまな神示を通じて伝えてきた、現代文明の立て替え立て直しのための大峠に匹敵する事件、災害が続出している。神は人類が改心しなければ、すべてを泥の海に返すと言っているのだ。事実、過去に何度も神の警告に反した文明が、地震や水没で泥の海に返されてしまったことが、竹内文書にはっきりと記録されている。

 私たちにもこされている時間は、極めて少ないかもしれない。これからいよいよ、立て替え立て直しの大詰めがやってくることだろう。

 最悪の状態を回避して、愛と調和に満ちた神の意志があまねく世界の隅々まで行き渡り、神と人とが一体になった「ミロクの世」へと移行するために、私たちは早く手を打たなければならない。だが、決して神は私たちを見捨てたりはしないと、私は信じている。なんせ、竹内文書という素晴らしいヒントを、私たちに用意してくれたぐらいだ。必ず人類は神の導きに従って、その道を正すことだろう。

 そんな祈りと確信をこめて、私はこの本を著した。本書が天皇の本質に対する一般的な誤解を解き、神界の意を映した神政復古の足掛かりとなってくれれば、これに勝る悦びはない。

 至らぬ点や筆の力の及ばぬ点など多々あるかと思うが、読者諸兄のご指導、ご批判をお待ちする次第である。

 

 平成七年十月吉日

高坂和導