印刷

竹内文書I はじめに

 

 地球と人類の歴史を克明に記した世界最古の文書が、私たちの国・日本に存在する。それが本書で紹介する竹内文書である。

 北茨城市の磯原町にある皇祖皇太神宮には、約二千年前に竹内真鳥(平群真鳥)が、原文から漢字カナ混じりに書き改めたといわれる文書が伝わっていた。しかも、真鳥が書き改める前は神代文字によって書かれていたというのだ。

 そこに記録されているのは、驚愕すべき歴史の真実である。天皇家が他天体から宇宙船で地球に来訪したこと。日本に世界政府が置かれ、天皇が世界を統一していたこと。日本から分かれて世界へ散った五つの人種の子孫から、モーゼ、イエス、マホメット、釈迦、孔子、老子などの聖人が生まれ、彼らが日本で修業したこと。常識から見れば、荒唐無稽だが、しかし最新の考古学的研究によって裏付けが徐々に進んでいる超古代文明の真実が、余すことなく竹内文書に書かれているのだ。

 かつては、竹内文書に触れようと思ったら、不敬罪を覚悟しなければならない時代もあった。もっと以前には、皇祖皇太神宮の神主である竹内家のご先祖が、自らの命と引き換えにしてまで、神宝の秘密を守り抜いてきた歴史もある。幸い第二次世界大戦後にもたらされた言論の自由によって、真実の歴史への探求が広く行われるようになってきた。

 竹内家は、命がけで守り伝えてきたこの神宝を、いつかは日本の天皇家に奉還しようとしている。竹内家が世に出るとき、それはいままで真実とされてきた世界観が、根本から覆されるときである。宗教界、教育界のみならず、世界の政治や経済の仕組みまで、根本から立て直さなければならなくなるだろう。だからこそ、それを恐れた支配者たちが、竹内文書を否定し、ニセの歴史観を人類に伝えてきたのである。

 しかし、時代の大転換は刻々と迫っている。遥か神代の昔に、天皇のもとに秩序正しく世界統治していた神々が、いよいよその力を発揮して、世の中を一気にひっくり返し、再び世界を神代へ立て直さんとしているのである。そのためにも、真実の歴史を世に問い、世界平和の根本を人類に示す必要が生じてきたのだ。

 こういった考えに反感を感じる人も多いだろう。筆者も竹内文書の研究に取り組み始めた二十四年前はそうだった。というのも、わたしたちの戦後教育を受けたものは、天皇は治世に携わらないという意識が強いからだ。

 ところが、竹内文書に出会ったとき、もしこれが本当なら、自分自身の生き方を根本から変えねばならないと思った。同するためには、日本及び世界各地の遺跡や文献を徹底的に調べなければならないと考えた。

 だからといって、本当は、だれも教えてくれる人などいない。友人に相談したところで気が狂ったといわれるのがオチだ。となると、尋ねる先は天しかないと思った。

 「この竹内文書の内容は真実ですか。もし真実なら一生をかけてこれを立証していきます。しかし、もし間違ったものであれば一生を棒に振ることになってしまいます。真実かどうか、なにとぞ教えてください」

 私は、当時住んでいた調布市の丘の上に立って、富士山の方角に向かい、夜空にそう呼びかけた。すると、黄金色に輝く光球が飛んで来て、私の頭上で止まったのである。それはまるで、日本の国旗掲揚塔の上につける黄金の玉のようだった。それは金色の粉をチラチラと落としながら静かに降りて来て、腹に響くような声で、はっきりと私にこう伝えたのである。

 「これはまことの歴史です。わたしたちがたえず天から見守っていますから、安心してこの研究に突き進みなさい。もし、あなたが道をはずみそうになったら、私たちが修正します」

 私は、百万の味方を得た思いでうれしくなった。その声こそ、きっと地球に文明をもたらした外宇宙の知的生命体であろうと確信している。

だれがなんといおうと、私はこの道を突き進もうと決心した。それからというもの、目に見えない力に次々導かれるままに、日本や世界各地の研究調査を繰り返していった。そして、竹内文書の内容を証明する数々の事実をつきとめ、真実の歴史に対する確信をますます深めたのである。

 本書は、そうやって取り組んできた研究の成果を、初めて世に出すものである。あれこれと言葉だけの論議を重ねることはせず、写真と図版を豊富に使って、竹内文書の世界を、リアルとえていただけように工夫した。これは同種の研究書にはない画期的な試みであると自負している。

 そして、本書にあふれるビジュアルイメージが、読者の皆さんの遺伝子の奥底に眠る超古代王朝の記憶を呼びさましてくれることを願ってやまない。

 なお、本書に収録したのは、膨大な研究成果のごく一部でしかない。より多くの衝撃的事実がまだまだ私の手元には眠っている。機会があれば本書の第二弾、第三弾として、それらを紹介したいと考えている。読者の皆様のご支援をお待ちする次第である。

1995年 立春

高坂和導